ドラマ「その女、ジルバ」第7回が2021年2月20日に放送されましたね!
ご覧になっていない方、Tver、FODで配信されていますよ。是非、本編もご覧ください。
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「その女、ジルバ」は、第23回手塚治虫文化賞マンガ大賞を受賞した有間しのぶさんのマンガ。これを原作として、吉田紀子さんが脚本を担当されているものです。
彼氏なく、アパレルメーカーから出向して倉庫係として働いている主人公:笛吹新(うすい あらた)が、ふとしたきっかけでBAR”オールド ジャック アンド ローズ”でホステス”アララ”として働くことになったところから、物語は始まりました。
アララは、先輩のホステスさん達の話を聞いたり、お客さんに喜んでもらおうとダンスを練習したり、思いもしなかった世界を体験していきます。代わり映えしないと思っていた毎日が、楽しい日々になっていきまいた。
それを近くで見ていた倉庫で働く同年代のスミレやミカも影響を受け、友人として接することができるようになってきます。その矢先、会社でリストラの嵐がふき、ミカは自分の心と向き合い、郷里島根県で母と暮らすことを決心し、退職しました。
そして、BAR”オールド ジャック アンド ローズ”でのクリスマスパーティの日、スミレは常連客の石動さんと何やらいい感じ。タヌカイの着ぐるみを着ていた”アララ”は、パーティで貸し切りと言って入店を断った人から花束をもらいます。
そして大晦日、大掃除を終えた”アララ”とマスターが酒を飲んでいると、再び花束の人がBAR”オールド ジャック アンド ローズ”へやってきたのでした。
そこから、第7話が始まります…
ドラマ「その女、ジルバ」第7話ネタバレ
今回は故郷についてのお話でした。
大晦日、大掃除を終えたアララとマスターがお酒を飲んでいると、クリスマスパーティーの日にアララに花束をくれた人がやってきました。(その人の名前は、白浜俊輔ということを後で知ります。)
その人は何年も前にジルバに追い返された人だということをマスターは覚えていました。
ブラジルでジルバの義兄(賀太郎:ガタロウ)から託された伝言をジルバにするためにやってきたと言います。
おせち料理を携えて仕事を終えたチーママがやってきて、戦後ブラジルでおこったことを語ります。日本が負けたことを認めようとしない”勝ち組”の人たちは、遠く祖国を離れて確かな情報もなく、都合のいいように書き換えられた言葉を真実と信じていました。
日本が戦争で負けたことを知っていた人達は、”負け組”と呼ばれ、勝ち組との間でいざこざが起こることもしばしば。
賀太郎は、勝ち組の仲間集めのために、弟であるジルバの夫からお金を借りていました。それは、祖国日本に帰るために貯めていたお金でした。
そのお金があれば、日本に帰る途中で夫や子供を亡くすことはなかったし、日本に着いて一文無しで生活を始めることもなかったと思っていた、とマスターはジルバから聞いていました。
新年、新は福島へ帰省します。弟の光の店が開店していて、新の父母、弟、弟の嫁、甥家族皆で立ち働いていました。お客さんも多く、忙しそうで新も手伝います。
父母は、そんな新の様子を不審に思っていました。明るくないか?、猫背が治っている…
新は、今まで親に言えなかったこと、倉庫で働いていること、BAR”オールド ジャック アンド ローズ”で働いていることを両親に知ってもらおうとしていたのです。
新年の東京です。職場では、スミレの雰囲気が変わっていました。楽しい新年の迎え方ができたようです。
そして、BAR”オールド ジャック アンド ローズ”で、”おかえり”と言って迎えられます。
ドラマ「その女、ジルバ」第7話、名言のおさらい
勝ち組の人たちが、戦争に負けたことを認めなかったわけをチーママは、
祖国を愛していたから
と言いました。食糧難にあえぐ国から、夢の国に行けば幸せに暮らせて故郷に錦が飾れる、と言われ、移民として渡り、決して迎えをよこすことはなかった。
白浜俊輔さんは、
ブラジルへ行くのか、帰るのか、よくわからなくなる
と言いました。新も福島に行くのか、帰るのか、わからなくなります。
郷里で、BARに務めることになった経緯をはなすことになった新
先も見えないし、明かりもない。それを、そのお店の人達が救ってくれた。新しい自分を見つけた気がした。
新が帰省している間に、マスターはクジラママに、「アララが専属になりたいと言っているが、普通の家庭に育った子にできるだろうか」と問いかけます。クジラママ
女は強いから。そして、化けるわよ。
新は、自分の居場所”オールド ジャック アンド ローズ”を新しい故郷にすることにしました。
まとめ
ドラマ「その女、ジルバ」第7回のあらすじと名言を書いてきました。
ブラジル移民のこと、”勝ち組””負け組”のこと、この物語で初めて知ったという方もおられるのではないでしょうか? 筆者も実感を持って知ることができた一人です。
また、東北大震災の時の人々の本当の苦しみも理解できていなかったのではないか、と問いかけてしまいました。
それでも、普段は笑って穏やかにいることができる人々がおられます。
思いやりながら、生きている人々がおられます。
私の周りにも、あなたの周りにも。